ぷんおの重箱隅つつき

映画やドラマから垣間見る生活文化の考察

国際市場で逢いましょう|あらすじ感想【韓国映画】時代背景・ネタバレ

国際市場で逢いましょう(字幕版)
題名:「国際市場で逢いましょう」(국제시장)
公開日: 2015年5月16日(日本)
監督脚本: ユン・ジェギュン
キャスト:ユン・ドクス(ファン・ジョンミン)、ドクスの嫁のオ・ヨンジャ(キム・ユンジン)、ドクスの親友のチョン・ダルグ(オ・ダルス)、ナム・ジン(ユンホ)、ドクスの父(チョン・ジニョン)、ドクスの母(チャン・ヨンナム)、ドクスの叔母(ラ・ミラン)、ユン・クッスン(キム・スルギ)他

【あらすじ】
朝鮮戦争中の1950年、興南(フンナム 現在の北朝鮮咸鏡南道咸興市)から脱出しようとしていたドクス一家は、戦乱の最中で父と末妹と離れ離れになるが、長男であるドクスは父から「お前が家長になるんだ。家長はどんな時でも家族が優先だ」と家族を任される。釜山へと渡ったドクスら一家は、国際市場にある叔母の店で働くようになる。
やがて青年になり家計を支えるようになったドクス(ファン・ジョンミン)だったが、弟の大学進学資金を稼ぐために旧友のダルグ(オ・ダルス)と共に炭鉱作業員として西ドイツに出稼ぎに出る。家族のために懸命に働くドクス。しかし、その先には数々の試練が待ち受けていた。
[引用元:国際市場で逢いましょう - Wikipedia

[ネタバレ・時代背景個人的まとめ]
朝鮮戦争(1950年)。朝中共軍の攻勢で戦況が不利になり、興南を撤退することになった。約1万4千人の避難民を乗せて「メロディス・ビクトリー号」は南へ向かった。(俗にいう『興南撤収』)

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非常に大きい船ですが、さすがに1万4千人乗せたらかなりギュウギュウだったかと。映像でもカオス!
クリスマスの奇跡「興南撤退船」 英BBCが放送 l KBS WORLD Radio
劇中、この船にドクス一家も船壁から乗り込むのですが、背負っていた妹が手を離してしまったことから父妹と生き別れとなります。その後、ドクス一家は南に渡り(釜山)叔母の家(コップンの店経営)に身を寄せます。
ドクスは家族のために稼がねばならず大学進学をあきらめ、1963年から始まった「ドイツ(西)派遣炭鉱労働者」として出稼ぎに行きます。当時別段産業もなく世界最貧国だった韓国、出稼ぎで外貨稼ぐしかなかったですね。下記東亜日報の記事にもありますが、劇中のドクスも秀才設定。ドクスの嫁になるヨンジャは看護婦なのですが死体のお清め作業と辛い仕事です。〜炭鉱出稼ぎは想像つくのですが、看護婦で出稼ぎは驚きました。
50年前にドイツに向け発った彼ら : 東亜日報

〜日本の移民についての資料
日本人の海外移住、1868年―1998年 | ディスカバー・ニッケイ

1964年、ベトナム戦争へ韓国軍「SEATO連合軍」の参戦が決まります。ベトナム戦争 - Wikipedia 
劇中のドクスは西ドイツから帰国し、叔母の嫁と暮らすのですが、時を移さず妹の嫁入り資金を稼ぐため、民間技術者としてベトナムへ渡ります。そこで敵の攻撃に巻き込まれてしまいます。銃弾を浴び向こう岸へ渡るボートから落ちるのですが、韓国兵に助けてもらい命拾いをします。(〜このプロット、引き上げ船から落ちていく妹と重なってます)1975年終戦。帰国したドクス。店は嫁が頼もしく守ってくれていましたが、ドクスの片足は義足となってしまいました。コップンの店は叔母からドクスに譲渡され、妹も結婚。生活も落ち着いていきます。1983年のある日、食堂でテレビを観ているとKBSの「この人を知りませんか?」という番組が。汝矣島広場前(KBS放送の前?)には戦争で生き別れになった家族を探すため多くの人々と情報を書いた用紙が床一面に貼り付けられていますが手がかりはありません。ドクスの家に一本の電話。それはテレビ局の人探し番組から。残念ながら全く別人。その後もドクスは広場に通います。また一本の電話。ロサンゼルスと中継がつながる…。相手はアジア人だが英語しか話せない女性。それは米国で養子となって暮らしている妹。やっと韓国で家族と再会の夢が叶う。

〜幸せな大家族を築いた。妹との再会の夢も叶った。父との約束を果たした。十分頑張った。本当に辛かった・・・父を思い涙を流す。そして船で離れ離れになった時、父が「コップンの店」で会おうと言った言葉。役割を果たした店の閉店を決める。

エンドシーン、一匹の白い蝶が飛び立つのですが、蝶は「魂」の象徴として使われることが多い。(実際韓国でそうなのかは不明)ドクスは「もう来れんだろ。年を取りすぎて。」とつぶやきます。やっと父さんを天国へ送り出した感。肩の荷をおろし幸せそうに嫁と並んで座っている。

【感想】
戦後の韓国庶民の年表という観点から勉強になる点が多かったです。事件だらけの韓国なのによく絞り込んだなと。本来ならばソウル五輪も盛り込みたいとこだったでしょうが「大韓航空機爆破事件」もあわせて描かねばなりませんからできなかったんでしょうか?(毒)
戦後に生きたひとりの男と家族の物語。。。
周りに相談する相手いなかったのでしょうか?映画作品ということもありますが、家長代理のドクスが全てを背負い込み、相談もそこそこに炭鉱や戦争に出稼ぎに行く。理由が弟の進学や妹の嫁入りなど諦めさせようと思えばできることなんですがね。これらが私の目には、妹落下(わざとじゃない)の負い目、父の言いつけ(家長らしく、店で会おう)への忠誠と過度な精神抑圧にしか見せませんでした。俗にいう韓国家族制度(儒教思想)の悪しき部分。こういう我慢精神はどこの国のおじいちゃん世代にも少なかれありますが、次世代の子ども達のことを思えばドクスのようにひとりで抱え込まず、家族やコミュニティに助けを求める役割分担的要素も入れればよかったんじゃないかと思いました。逆に「国が悪いんじゃー!」とか「日本のせいジャー!」というのも困りますがね。


さて、ここからは個人的に目が釘付けになったエピソード!!!
「この人を知りませんか?」系の番組、、、日本でも80年代に「中国残留孤児」の方々がわずかな手がかりを元に人民服着てテレビで呼びかけしていた記憶、、、幼き私の脳裏にしっかり刻まれ現在に至る。イメージ的にはTBSで恵さんが司会でたまにやる「緊急!公開大捜索」です。独特の空気ですよね。

さーて劇中含め関連項目リンク貼っていきまーす!
▼韓国の人探し
▼日本における中国残留孤児の人探し


▼私たちの助けを待っている北朝鮮拉致被害者の皆さんは特集TV番組があっても出演できない環境下にあります。

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【評価】
★★★★☆

この主人公は妹と再会を果たし自分の納得いく人生を終えることができそうですが、世界中にはそれが叶わぬ人がたくさんいます。〜その重みに気づかせてくれた作品でした。

アマプラかHuluの見放題に入ってました。韓国語耳慣れない方は吹替えのほうが良いかもです。

補足の関係なさそうである話 !!!
「がんばれクムスン」というドラマ聞いたことある人多いかもですが、ヒョンウ・イン氏歌唱で同じ名前の曲があるんです。当時の映像入れ込んだ動画発見しました。下記に訳詞貼ってますが、ほぼほぼこの歌詞と同じような感じ。  訳詞のみ貼ります。

1番
吹雪が舞い散る 風冷たい興南埠頭に
声を限りに叫んだり探してみた
クムスンどこに行く
道に迷いさまよい
血の涙を流しながら
あの事以来一人でずっといる

2番
家族や親戚のない身
今は何している
この身は国際市場の商売人
クムスンに会いたいな
故郷の夢も懐かしくなる
零度の橋の欄干の上に
三日月ばかり寂しく浮かんだ
鉄のカーテンひどい悲しみ
天地の間にあなたと私だけが相変わらずいた
クムスンがんばれ
南北統一その日になれば
手をつないで起きてみよう
抱き合って踊りを踊ろう